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◆ホオジロザメの調査
昨年の4月、ケープ半島の東側のフォールス湾(Fals Bay)のミューゼンベルグ海岸(Muizenberg beach)で、15歳のサーファーが約5メートルのサメに襲われて、右足を食いちぎられた事件を紹介したことがあります。
ミューゼンベルグ海岸では過去25年間、サメによる被害は起きていなかったみたいですが、ケープ半島沖ではサメに襲われた人もいるみたいで、つねにサメの恐怖があったみたいです。
ケープ半島沖は、昔からサメが生息しているのはだれもが知っていることで、過去にサメ捕獲の声もあったみたいですが、観光や自然保護関係の団体から強い批判もあったみたいです。
ケープタウンの研究者たちによって、マグロの頭やオットセイのシルエットでサメを誘きよせて、6メートルもあるサメを捕獲しているそうです。
サメは警戒しながら近寄ってくるそうで、映画のように簡単に誘き寄せることはできないそうです。
研究者たちは、36のサメにタグ(札)とトランシーバーを付ける予定だそうです。
このトランシーバーによって400〜700m先のサメの行動を調査することが可能で、その生態を研究する予定だそうです。
多くのサメは、夏には海洋に出て、アフリカ大陸の海岸で棲息しているみたいで、取り付けたタグによってサメの回遊の調査も試みる予定だそうです。
今までの定説ですと、「サメのテリトリーは決まっているので、人がその領域に入らなければ襲われることはない。だからフォールス湾でサメと人は共存できる。もしサメが人を襲ったとしたら、サメに対して何らかの誘引要因があった」というのが定説になっているみたいですが、今回の調査でサメの行動を明らかにするのが狙いみたいです。
ダーバンではサメの被害を防止するため、人の遊泳区域を隔離する網が張られている場所があるそうです。
しかし、この網の設置と交換に莫大な費用がかかるそうです。
この網には、様々な動物がかかり死亡するそうです。
ケープ半島の自然保護団体は、「網の設置はケープ半島の自然を破壊する」と言って網の設置に反対し、動物(自然)との共存を目指しているそうです。
(2004.07.04)
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◆試験問題を携帯電話のカメラで撮影
2002年6月、南アフリカに滞在していて、白人の友人から、「南アフリカでもデジカメ付き携帯電話がある」という話がありましたが、実際に持っている人を見かけませんでした。
2004年の南アフリカの新聞に、「デジカメ付き携帯電話は、自称パパラッチあるいは覗き魔には申し分ない。ジムやフィットネスクラブの更衣室、ヘルスクラブでの撮影は禁止される。しかし、警察が取締るのは難しいだろう」と書かれていました。
南アフリカの携帯電話の普及は、今では日本とあまりかわらないかもしれませんが、1990年代の中頃は、日本の携帯電話が手のひらに入るようなサイズだったのですが、南アフリカでは手で鷲掴みするようは、かつてのトランシーバーのようなもので、日本と比べて2年ぐらい遅れていたかもしれません。
携帯電話による学生の不正試験によるニュースは、日本などでも事欠きませんが、南アフリカの新聞にもこのようなニュースが掲載されていました。
「ダーバンの5人の高校生が職員室(?)に入り込んで、試験問題を携帯電話のカメラで撮影し、試験の成績が0点になった。主犯の2人は退学になった」という内容でした。
学校へは携帯電話を持って行ってもよい決まりだったみたいですが、これにより携帯電話の持込が禁止になったみたいです。
「もしこれが大学入学許可試験であったなら、これから2年間は試験を受けられない」と書かれていました。
このようなニュースを読んでいつも思うことですが、「生徒の不正のことばかり書かれていて、先生の書類管理の責任などはどうするのだろうか?」と思ってしまいます。
(2005.06.26)
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◆ケープタウンは麻薬の中継基地
世界の麻薬の中継基地としてインド洋沿いのダーバンが有名でしたが、最近の国連の報告書によれば「ケープタウンが最悪の都市」だそうです。
世界で押収された麻薬の約19%が南アフリカだそうです。
麻薬についてはよくしりませんが、"tik"という物があるそうです。
"tik"を使用する者の平均年齢は20歳だそうですが、そのうちの約60%は15〜20歳だそうで、少年たちに普及(?)しているそうです。
また使用者の88%は有色(黒人とカラード)、10%が白人、アジア系が1%、インド系が1%だそうです。
"tik"は比較的安価で購入できるそうで、内容はよくわかりませんが1本のストローが30ランド(約550円)だそうです。
"tik"の使用により性的興奮も抑えられなくなるため、"レイプ"や"HIVへの感染"が恐れられいるみたいです。
この話とは直接関係ありませんが、私が南アフリカに滞在していた時、黒人の友人へ「あなたはタバコの吸いすぎではないか?」と言うと、「タバコは自分を殺すだけだから吸ってもよい。アルコールや薬は他の人を殺すからよくない」と言っていました。
このようなことを書くと黒人の方全部と思われてしまいますが、「彼らの飲む酒の量は半端じゃない」と思うことが何度もありました。
「酔うためにひたすら飲む」と感じたことがありました。
南アフリカでは1995年から2003年の間に20万丁の銃の行方がわからなくなっているそうです。
報告書によれば、「南アフリカには不法な銃が40万丁と言われていたが、800万丁はある」と予想しているそうです。
(2005.07.06)
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◆南アフリカのレイプ事件
最近の南アフリカのニュースを見てみますと、"レイプ"、"麻薬"などの記事が多く掲載されています。
ここにきて急激に増えたわけではないのでしょうから、それだけ良いニュースが不足しているということかもしれません。
ケープタウンのケープフラットは、レイプ犯罪が多発しているそうです。
ある病院の報告によると、毎月100人のレイプ被害者を治療しているそうです。
患者の年齢は6か月の赤ん坊から、82歳までの老人だそうです。
ある医療プロジェクトは、2000年にスタートし、2,900人の治療をしたそうです。
プロジェクトがスタートした当時は、月に40人くらいの治療だったそうですから、ここ最近、急激に増加していることになります。
その治療には、経験のある医師ならば30分で済むそうですが、医師不足で、若い医師では1時間半〜2時間がかかるそうです。
その治療は夜間や週末に発生しているため、医師にとっては負担になっているみたいです。
ある別のニュースによれば、南アフリカの医師の3分の1が、犯罪が多発しているため海外へ流出しているそうです。
また昔に読んだニュースによりますと、被害者のまず最初の治療はHIV感染の防止だそうで、「発生から何時間以内に病院へ運んだ」ということが書かれていました。
また、年少者の精神的なダメージだけでなく、骨盤の破壊などの悲惨な例が紹介されていました。
最近のニュースによりますと、外国からの観光客の被害も報じられていますので注意しましょう。
(2005.06.28)
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◆南アフリカのストライキ
6月27日の月曜日、南アフリカでは大規模なストライキが決行されたみたいで、その後についても、ストライキのニュースが報じられています。
ヨハネスブルク、プレトリア、ケープタウン、ブルムフォンテン、キンバリーなどの大都市のスト状況が紹介されていましたが、「失業、貧困」等について、政府(または州政府)へ「要求を提出した」と書かれていました。
「政府がランド(南アフリカの通貨)高に対して無政策のためによる輸出収入の低迷が低迷し、雇用促進が図られていない」というのが訴えみたいです。
労働組合"Cosatu"は、「ストの参加者は10%、ストライキは成功だった」と発表したみたいです。
評論家は、「ストライキは南アフリカの失業の解決にはならない。雇用の伸びは景気の刺激により起こる。ストライキは状況をさらに悪くした。5億ランド(約90億円)の損失だった」と言っているみたいです。
1990年代の半ば以降、私が滞在していた当時も頻繁にストが起こりました。
現在のランドは1R=約18円ですが、当時は26円ぐらいあり、輸出をすればドンドン外貨が入ってくる状態でした。
かなりの好景気だったのですが、黒人の方の給料は、まだまだ低賃金の時代であり、ストをすればそれなりのベース・アップが望めた時代でした。
当時、私は、「近い将来、黒人の方たちの給料が上がるだろう。そうなったら、外国は値段の高い南アフリカの製品を買うだろうか?」と思っていました。
ここ数年、ランド高と賃金高による製品値段高のダブルパンチになっているみたいです。
数か月前の新聞に、「ケープタウンの有名なTシャツメーカーが閉鎖した。東南アジアから安価なTシャツが輸入されるため」と書かれていたように思います。
この記事を読んだ時、「安価な製品や食糧が輸入されてくる。輸出するのは外国資本の入った器機製品だ。南アフリカ政府の国内産業を保護する貿易政策はどうなっているのだろう」と思ってしまいました。
(2005.07.28)
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◆甦るかクワッガ
もう10年も前のことですが、ケープタウンを訪れた目的は勿論、喜望峰でした。
それに、ケーブル・ウエイでテーブル・マウンテンに登ることでした。
当時のケーブル・ウエイは、現在のような円盤状でなかったために、しばしば風のために運休していました。
ヨハネスブルクから3泊4日で出掛けたのですが、ケーブル・ウエイが運転したのは4日目で、どうにか乗ることができました。
この写真は南アフリカ航空の機内誌"Springbok"か"Sawubona"のどちらかに載っていたものをお借りしました。
"Springbok"はかつての機内誌の名前で、現在は"Sawubona"だと思います。
私がケープタウンを訪れた時、密かに期待していたのは博物館にある"クワッガ"の剥製でした。
しかし、博物館にあったのは、姿も色も不鮮明な剥製でした。
クワッガとは、上半身だけに縞模様がある馬です。
白人の入植以来、珍しいために乱獲されて絶滅してしまったそうです。
剥製のDNAを鑑定して結果、シマウマに極めて似ていいることがわかったそうです。
南アフリカでは、後ろ足の縞模様の薄いシマウマから、クワッガを甦らせようとしているそうです。
(2005.07.10)
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◆テロで南アフリカ人が4人死亡
ロンドンで発生したテロについて、南アフリカが把握している非公式の報告書によると、南アフリカ人は4人が死亡し、3人が負傷し、50人の安否が未確認だそうです。
これらの犠牲者の氏名を公表するために、家族の了解を得ている最中だそうです。
また、安否が不明の50人については、本人から家族に連絡があった場合、すぐに届け出るように呼びかけているそうです。
昨年(2004年)の8月上旬に、ブログでこのようなニュースを紹介したことがあります。
来週末、ヨハネスブルクのエルスパークでは、ラグビーファン待望のトリネーションカップが開催され、スプリングボックスはニュージーランドのオールブラックスと対戦します。
6万2000枚のチケットは、数週間前に売り切れたそうです。
この試合には、ムベキ大統領や閣僚の観戦(出席)も予定されているそうです。
この試合のために、警察、軍隊、大統領の護衛を含め、総勢800人が警備にあたるそうです。
ヨハネスブルクのあるハウテン州の上空は航空管制塔によって監視され、エルスパークの上空は飛行禁止になり、球場周囲には警察犬が配置され、エルスパーク内の不審物はくまなくチェックされるそうです。
大統領他、VIPの球場入りも、ヘリコプターによることが検討されているそうです。
「たかがラグビーの試合ではないか?」言われそうですが、パキスタンで逮捕されているアルカイダの犯人(?)の先週の証言で、南アフリカでのテロを計画していたことが判明したからだそうです。
1998年にケニアとタンザニアで起きた、200人以上が死亡した米国大使館爆破の犯人リストに載っているタンザニア人は、南アフリカに潜伏していて、4月の選挙でプレトリアのユニオンビルデング一体の爆破を計画していたそうです。
詳しいことはわかりませんが、南アフリカ警察はテロを察知して阻止したそうです。
犯人たちのコンピュータや地図などの資料によれば、今回のラグビーの試合での、ヨハネスブルク一体の爆破が計画されていたそうです。
その他、ケープタウンのウオーターフロント爆破の計画もあったそうです。
警備当局は、「この大きな試合のセキュリティは必ず守ります。エルスパークのセキュリティが最高水準であることを世界中に伝えます」と発表しているみたいです。
これは、「2010年のサッカーWカップ開催」を意識しての発言もあるのかもしれません。
「南アフリカがアルカイダの標的になっている」というニュースを読んだ観光業や証券取引所の関係者などは、「南アフリカは米国やアルカイダの標的となるような国との親密な外交関係にない。米国とは一線を引いてきた。なぜ南アフリカがアルカイダの標的になるのだ。観光業の収入が減り経済に大きなダメージを与える」と、はけ口のない不満を訴えているそうです。
南アフリカのテロの噂については、過去何度となく報じられきましたが、「たんなる噂」と思ってきました。
「ニューヨークとインドネシアを結ぶ直線の延長線上に南アフリカがある。次の標的は南アフリカだ」という噂は本当だったのかもしれません。
(2005.07.09)
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◆バファナ・バファナ
今までに何度か紹介したことがありますが、南アフリカのサッカーのナショナル・チームの愛称は"バファナ・バファナ"といいます。
"バファナ"とは黒人言語(ズールー語?)で"少年"という意味だそうです。
"バファナ・バファナ"だから"少年たち"という意味みたいです。
「ということは、この黒人言語には複数形がないのか?」と思ってしまいます。
ユースのチームの愛称は忘れてしまいましたが、確か"赤ん坊たち"だったような気がします。
因みに、かつての南アフリカの国技ともいえる、ラグビーは鹿の"スプリングボック"、クリケットは花の"プロティア"でした。
2002年のサッカーWカップでの南アフリカの紹介は、欧州で活躍していた"マッカーシー"と"フォーチュン"が中心でした。
新聞や雑誌の記事の内容は殆ど同じだったで、「文章こそ違え出典は同じだろう」と思っていました。
「南アフリカの国内リーグで活躍している"ノムべテ"も紹介して欲しい」と思いました。
ある雑誌には、南アフリカの古い国旗が掲載されていて、「やっぱし南アフリカはマイナーだ。国内リーグについてなど誰も調べて記事は書かないだろう」と納得してしまいました。
2002年当時、私が見た南アフリカの黒人のサッカー少年は、髪を銀色に染めていました。
「やっぱし"マッカーシー"がサッカー少年たちのヒーローだ」と思いました。
いまマッカーシーがどこでプレーしているか知りません。
最近、南アフリカのニュースでよく紹介されるのは、マンチェスター・ユナイテッドでプレーしているフォーチュン(28)です。
「フォーチュンは膝の手術をしたため完治に6週間かかるため、チャンピオン・リーグや今月末の極東ツアーに出場できず、
8月13日から始まるプレミアシップ・シーズンに間に合わない」と書かれていました。
(2005.07.06)
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◆コムラッズマラソンの勝者
コムラッズマラソンは6月16日に開催される、クワズール・ナタール州のピーターマリッツバーグからダーバンまでを走る89キロのマラソンレースです。
もう何年も前の日本の「ランナー」という雑誌に、日本の方が参加したという記事が掲載されていました。
その記事の中で忘れられない内容は、「観客が捨てたコーラの缶を拾って飲む子どもたち」と「参加した方の奥さんのネックレスがもぎ取られた」という内容でした。
今年の男子の優勝者は、詳しいことはわかりませんが、マプマランガ州の州都ネルスプリューイットから25キロはなれた所にくらし、ネルスプリューイットや近くの白人農場で仕事を探す、失業と貧困の場所だそうです。
また、ここは悪名高い犯罪スポットでもあるらしいです。
そこは山岳部で、ロベルダという茅葺の屋根を持った円柱状の泥壁とレンガで造られた住居に住んでいるそうです。
ここは、いくつかの種族の統治下にあるところだそうです。
ここは高地であり、マラソンのトレーニングには最適な場所かもしれません。
優勝した23歳の男性の家族は、祖母と30歳の姉、それに19歳の婚約者と住んでいるそうです。
53歳の母親と4人の兄弟は5キロほど離れた所に住んでいるそうです。
驚くべきことは、この8人は、30歳に医者の兄の収入によって生活しているそうです。
医者といっても、祈祷師のような仕事かもしれません。
他の兄弟たちは、働きたくても仕事がないのだそうです。
優勝した23歳の男性も無職だそうですが、援助資金が供給される職業訓練所のようなところに通っているのかもしれません。
19歳の婚約者は、自分の小さな白黒テレビで、レースを見ていたそうです。
そして、午後にはいつものように仕事(農業か?)へ出かけたそうです。
家族の誰もが、この優勝で100万ランド(約2,000万円)の大金が入ることに気がつかなかったそうです。
優勝した男性は、「優勝することなど考えず、10位以内に入りたい」と思って走ったそうです。
男性は賞金の使用方法はまだ考えていないと言っているそうです。
2,000万円といえば南アフリカでは大金です。
白人の方たちにとっても、家と車のことを考えなければ、一生暮らせる金額かもしれません。
黒人の方たち、特にこのような地方に住んでいて、一日働いて10ランド(約200円)の現金収入の方たちにとっては、想像の出来ない金額かもしれません。
本人の変貌は勿論、周囲の状況によって、この家族がどのようになっていくのか心配になってしまいます。
かつて私が南アフリカ滞在時に、アトランタ五輪のマラソンで、無名のチョグワネが優勝しました。
チョグワネは金メダルの褒美として、政府から家と車を貰ったみたいです。
その後の南アフリカの新聞によると、何度か空き巣に入られ、カージャックにも遭遇したそうです。
アトランタ五輪後、外国からマラソン大会に招待されたそうですが、周囲からの妬みを恐れて「南アフリカに優秀な選手は沢山いる。(その人達を招待して下さい)」と言って辞退したそうです。
噂によれば、今ではゴールド・メダリストらしからぬ生活を送っているそうです。
(2005.06.20)
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◆病院でのHIV感染の可能性?
かつて私が南アフリカに滞在していた時、ある白人の知人の奥さんが、子供さん生まれるために病院へ入院したことがありました。
その友人へ、「病院でのHIVの感染の可能性はないのか?」と聞いたところ、「南アフリカの病院はしっかりしているので、その心配はない」と言っていました。
その後、「このことに関連するようなニュースはないのだろうか?」と、新聞の記事を見ていましたが、「歯科医や医者が、HIV感染を恐れて海外へ流出している」という記事しかみあたりませんでした。
6月23日のニュースに、「看護婦の継子が、HIVに感染」という記事が掲載されていました。
これは、こどもの実の母親が看護婦である継母を、「HIVに感染した血液を看護婦である継母が注入した」という疑いのある事件だそうです。
(2005.06.03)
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◆南アフリカの性年齢の低下
今までに何度か、南アフリカの性年齢の低下についてのニュースを紹介したことがあります。
6月16日のユース・デーのムベキ大統領の演説で、「男性教師は生徒とセックスをしてはいけない」と述べ、大喝采を浴びたニュースを紹介しました。
同じ日の別のニュースでは、小学校の父兄参観で、「小学校低学年の男女が学校の裏側でセックスをしている」、「少年と少女がパンツをはいていなかったところを目撃した」と報告して、親に衝撃を与えたそうです。
そのセックスの程度(?)はよくわかりませんが、教師がその子どもに尋ねると、「テレビで見たことをしていた」と答えたそうです。
教師は、「テレビや雑誌などでセックスはオープンにされていて、子どもに見せないようにすることはできない。親はセックスについて子どもに教えるべきだ」と言い、親は合意したそうです。
(2005.06.16)
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◆南アフリカのレイプ事件
今までに何度か、南アフリカのレイプの統計について紹介したことがあります。
10代の少年によるレイプや、HIV感染者(処女とセックスをするとHIVが治るという迷信。あるいは祈祷師の助言)による5歳以下幼児へのレイプが有名になっています。
レイプは、「5人に1人とも言われる、南アフリカのHIV感染を広げている理由の1つ」だともいわれているそうです。
南アフリカの新聞によれば、「1日あたり50人の子どもがレイプされている」そうです。
専門家グループの発表によれば、「これは警察に届けられたレイプ事件だけで、過少の数字である」と言っているそうです。
警察によれば、「年間の被害者は20,000人で、その40%は18歳未満の少女」だそうです。
専門家グループによる集計によれば、「年間の被害者は52,000人を超えていて、実際には100万人」とも言われているそうです。
私が南アフリカに滞在していた時、白人の方や黒人の方と話した内容からすれば、「どこまでをレイプというのか?」、日本の感覚とかなり違うみたいです。
例えば、「ボーイフレンドにレイプされた」とかいうニュースを読むと、「南アフリカでいうボーイフレンドとは、もともとそういう男女関係にあることを言うのではないか?」と思ってしまいます。
「ガールフレンドへお金も物もあげないから、男は『レイプされた』と訴えられたのだろう」と思っていました。
ある専門家によれば、「少女レイプの91%は、顔見知りの男性による」そうです。
「そのうちの20%は、母親のボーイフレンド、母親のパートナー、継父、時として実父」だそうです。
「また20%は18歳未満の少年による」そうです。
ある専門家によれば、「南アフリカのセックス習慣や性教育の不十分」がレイプ事件を多くしている原因だそうです。
また、「母親の教育レベル低さや、未婚の母親のボーイフレンドとのセックスなど」母親の問題もあるみたいです。
さらには、「板塀などで作られた粗末な仮小屋のため」と書かれていて、これには、「混み合った住宅街には信用できる人たちばかりが住んでいるわけではない」、「大人のセックスのプライバシーが守られていない」のも理由だそうです。
(2005.06.17)
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◆南アフリカの移住セミナー
1994年に黒人主体政権になり、その政治に不安を感じた白人が英語圏へ移住していった話は有名です。
その移住先はインド洋を隔てはオーストラリアのパースだったりしたみたいです。
1990年代後半のニュースによれば、思っていたよりも政治が悪くならないので、また南アフリカへ戻ってきているというニュースがありました。
2000年になってからかもしれませんが、医者、歯科医などがエイズ感染を恐れて、英語圏へ移っているというニュースもありました。
また、「米国や欧州などでは、看護婦不足が発生していて、南アフリカの看護婦さんを出稼ぎに行かせる人材派遣会社がある」というドキュメンタリー番組が日本のテレビで放映されていました。
南アフリカの看護婦さんの給料は安いみたいですが、米国や欧州へ出稼ぎに行っても、滞在費などをさしひけばそれほどの収入をえられるわけでもないみたいです。
家族の期待を背負って、空港に向かう看護婦さんの映像がありましたが、"希望に満ち溢れている"という感じはありませんでした。
1995年のセミナーでは、何百人もの応募者があったそうですが、最近のセミナーでは40人程度だったそうです。
かつては白人がほとんどだったが、40人のうちの8人が白人で、14人が黒人、残りがアジア人だったそうです。
南アフリカの教育や犯罪に不安を持っている白人は多いみたいですが、過去の例からして、外国は夢ばかりではないということなのでしょう。
このニュースには、いずれ過去に出ていった人たちの南アフリカへの再移住のことが書かれていました。
ニュースの表現からすれば、南アフリカからの白人の流出が少なくなった、戻ってくるのものもいる、という、南アフリカのアッピールもあるのかもしれません。
しかし、「やはり外国への移住は大変だ。少しくらいは危険でも南アフリカへ戻れば生活できるだろう」というのが本音かもしれません。
(2005.06.22)
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◆ユース・デーでのムベキ大統領の演説
「6月16日のユース・デーで、ムベキ大統領がキンバリーで集会に出席する」と書かれていましたので、「今年はどのような挨拶を述べるのか?」と期待していましたが、少しガッカリしました。
新聞のニュースですべての演説内容について書かれていませんので、実際の演説ではもっと重要なことを述べているのかもしれませんが。
「明日の南アフリカを築くのは青年たちだ」と述べたみたいです。
さらに、昨年の選挙でもそうでしたが、若者(18歳以上)の選挙人登録がすすんでいないので、今年末に予定されている地方自治体(?)の選挙に向けて登録し、「政治への参加」を訴えたみたいです。
また、「昔から教育が十分行われていないので、質の高い教育を行うべきだ」と述べたみたいです。
その中で、「教師はアルコールを飲んで学校へ来てはならない。男性教師は生徒とセックスをしてはいけない」と言い、大喝采を浴びたそうです。
このニュースを読んでみますと、「変わらない政治」や「議員の汚職」など、若者への課題といよりも、「大人の問題点」のような気がします。
(2005.06.17)
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◆南アフリカのユース・デー
6月16日、南アフリカはユース・デーで祝日でした。
このユース・デーは1976年6月16日、ヨハネスブルクの南西部にあるソウェト(Soweto=アフリカーンス語でサウス・ウエストの意味)の学校で起きた、アフリカーンス語に反対する生徒が、授業をボイコットして起こした”ソウェト蜂起”が起きた日です。
1994年に黒人主体政権になり、ユース・デーという祝日になりました。
私が南アフリカに滞在していた1990年代の後半は、各地で盛大な集会が開催され、マンデラ大統領(当時)が出席したニュースが新聞に掲載されていました。
こんなことを書くと叱られそうですが、ある本によれば、「たんなる授業ボイコットに軍隊や警察が出動して死者が出た。出来事は美化されている」とも言われているみたいです。
また、ヨハネスブルクに住んでいた白人たちは、「軍隊や警察が出動したのでソウェトでなにかが起きたらしい。またいつものことか?」と思っていたみたいであるが、それが外国へ報道されて、大騒ぎになって事の重大性に気づいたそうです。
ソウェトには、 ソウェト蜂起の記念館や博物館があるそうです。
記念館の名前は、”Hector Pieterson
Memorial”といい、警察官の発砲によって、最初に亡くなった生徒の名前にちなんでつけられたそうです。
「大勢のビジターが訪問した」と書かれていましたので、30周年の記念式典があったのかもしれません。
主要な政党のユース団体が、南アフリカの各地で集会を開いたそうです。
昨年のユース・デーのニュースにも記載されていましたが、ユースは「政府の雇用政策の促進」を訴えていたそうです。
(2005.06.16)
◆南アフリカの首都、ツワネ
南アフリカの首都プレトリアが、「その周囲を含む広域をツワネとし、首都にする」と3月に発表されましたが、今どうなっているのかわかりません。
5月中旬のニュースに、アフリカーナー(オランダ系の開拓者=ボーア)やンデベレ部族の国王のコメントが掲載されていました。
プレトリアは1855年にボーア人によって命名されたそうです。
ボーア人が英国軍に追われてフォール・トレッカー(荷馬車)で内陸部へ移動していき、その英雄の"Andries Pretorius"の名にちなんで設立された都市だそうです。
その開拓当時は、ボーア人は後ろから英国軍に終われ、前には黒人が迎え撃ち、大変な開拓であったそうです。
"血の川の戦い"といわれるズールー族との戦いはあまりにも有名で、川が真っ赤な血で染まる数千人の黒人の死者が出て、黒人の方たちに嫌われている出来事だそうです。
アフリカーナーは、「我われも南アフリカの国民で、英国と戦った反植民地戦争のシンボルだ」と言って、首都名変更に反対しているそうです。
また、今までのプレトリアの東部に王国を築いた最後の国王といわれるツワネ(Tshwane)は、ンデベレ族であるにもかかわらず、2人のンデベレ国王は、「首都をツワネに変更することを聞いていなかった」とコメントしたそうです。
ンデベレ族とは、ンデベレ語を話す部族です。
南アフリカには、ナショナルランゲージが11言語あります。
英語とアフリカーナーやカラードが話すアフリカーンス語以外の9言語は黒人言語です。
この9言語は大きく3つに分類されるそうですが、部族が違うと黒人の方同士でも言葉が通じないそうです。
私が南アフリカに滞在していた時、ブライ・パーティー(バーべキュー・パーティー)などで、白人の方が喋った英語またはアフリカーンス語を、言語に堪能な黒人の方が、ズールー語やノーザン・ソト語に通訳していました。
南アフリカには、非公式(国としては国王を認めていない)なのかもしれませんが、現在でも各部族には国王(あるいは部族長)がいるみたいです。
クワズール・ナタール州にあるズールー国王は、統制のとれた大王国みたいです。
昨年だったと思いますが、リンポポ州のある部族で、「私が国王の末裔だ」と表明して、国王争い(?)のニュースが掲載されていました。
「ンデベレの2人の国王」と書いてありましたので、ンデベレ族の中でもさらにいくつかの部族に分かれているのかもしてません。
ンデベレ国王のコメントによれば、「1500年代にプレトリア東部を国家を築いたンデベレ族の最後の国王はムシ(Musi)で、そこはクワムヤマナ(KwaMyamana)と呼ばれた」とコメントしたそうです。
また、「ムシの子供は2つの種族(NdzundzとManala)に分かれて、その1つの種族のマコソンケ(Makhosonke)には7人の子供がいて、その一人がツワネであるが、ンデベレの国王ではない」とコメントしたそうです。
これらのニュースを読んでいますと、ツワネという都市名は5年ほど前に決定されたそうですが、その歴史的背景がよく調査されていなかったのかもしれません。
また、各部族の歴史も文字ではなく"言い伝え"で伝えられてきたもので、正確な歴史は残されていないのかもしれません。
(お詫び:族というような言葉はあまり使わないようにと思っていますが、南アフリカの言語や人々について書こうとすると、族という言葉を使ってしまいます)
(2005.05.22)
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◆ヨハネスブルク近郊の仮小屋
1990年代の始め頃から、何度か南アフリカへ行きました。
ヨハネスブルク国際空港(当時はヤンスマッツ空港と呼ばれていた)からサントンへ行く道路沿いや、サントンからヨハネスブルクへ行く道路沿いには、黒人の方たちが住んでいる仮小屋が乱立していました。
この道路沿いに住んでいる方たちは、非住宅区域に勝手に家を建てて住んでいたのです。
初めてこの仮小屋を見た時は、「南アフリカはこんな所だったのか。白人の芝が植えられた庭のプール付の家とは雲泥の差だ」と驚きました。
それから2002年まで、何度か南アフリカに行くことがありましたが、この道路沿いの仮小屋のあった場所は、次第にきれいに整地されていきました。
時には、大きなダンプカーが入っていて、仮小屋が踏み倒されていました。
その光景を見た時は、「ここに住んでいた方たちは事前のどこかへ引っ越したのだろうか?」と心配をしていました。
1990年代の後半には、空港からの道沿い仮小屋は姿を消していき、2002年の環境サミットの時には、完全に姿を消しました。
N12道路沿いなどには、政府の住宅促進政策をアッピールするかのように、小さなレンガの家が建ち並んでいました。
しかし、住宅や土地を供給されなかった方たちは大勢いたはずであり、「どこに移ったのだろうか?」とか、「道路から見えない場所に移っていっただけなのだろうか?」と思っていました。
日本の新聞にも掲載された有名な話ですが、環境サミットが開催されたのサントン(ヨハネスブルクの北に隣接する市)から歩いていける距離にあるアレキサンドラでは、上下水道もないところに大勢の黒人の方たちが暮らしているのです。
6月2日のニュースによれば、ヨハネスブルクの東方にあるジャーミストンでは、約6,000の仮小屋が壊され、約40,000人が家をなくしたそうです。
これらの仮小屋は、鉱山会社の土地に建てられていたそうで、鉱山会社からすでに移動を勧告されていたみたいです。
鉱山会社の大型ダンプカーが警察に先導されて到着したため、仮小屋に住む人たちは抵抗をしたそうですが、シブシブ家財などを運び始めたそうです。
ここに住んでいたある女性の話では、「政府は、8か月前に移動を勧告して移動する場所を指示したが、そこの設備の準備をまったくしていない」と不満をぶつけているそうです。
(2005.06.03)
◆ケープタウンの火災による被災者たちの寒い冬
南アフリカもいよいよ本格的な冬を迎えます。
ケープタウン近郊では殆ど雪は降らないみたいですが、数年に1度ぐらいは雪が降るみたいで、昨年のニュースを読んでいましたら、「テーブルマウンテンに雪が降るかも」と書かれていました。
今年の2月のニュースによれば、「ケープタウンには、約31万軒の仮小屋("shacks"=黒人の方たちの住む住宅)があり、1月に大火災が発生して、不法居住地域の"Joe Slovo"では、3,200軒の仮小屋が焼けた」そうです。
ケープタウン市は、すぐに公営住宅の供給計画を発表し、すでに公営住宅に引っ越した方々もいるみたいですが、その計画は遅れに遅れているみたいです。
仮小屋を焼かれた黒人の方たちは、それまでに暮らしていた地域が不法居住地域であったため自ら仮小屋の復興が認められず、別の地域に移されて、いまだテント暮らしを強いられているそうです。
テントは固い岩盤の上に建てられ、テントの周囲は水浸しで、中に水が流れ込んでくるそうです。
寒い冬をどのようにして過ごすのか心配になってしまいます。
5月31日のニュースによれば、「政府は、6月の上旬までに、(公営住宅の供給)約束をしながら何もしてくれない。ここには豚も犬も住みたがらないだろう。食料の配給を受けるためには雨の中で列に並ばなければならない。病気であっても列に並ばなければ食糧を手に入れることができない」と不満を訴えているそうです。
ここには、冷水のシャワーしかないそうです。
ある女性は、湿ったテントの中で、殻の牛乳パックを入れて作られたベッドに座り、9か月の幼児はインフルエンザにかかって高熱を出していたそうです。
小学生に「なぜ学校へ行かないのか?」と尋ねると、「衣類が濡れていて着ることが出来ない」と言っていたそうです。
老人の方たちは、親戚などを頼って、トランスカイ(旧ホームランド)などに移って行っているそうです。
(2005/06/01)
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南アフリカの国花?
黒人の方たちについて悪く書くつもりはないが、いらない物は家の廻りでもポイポイ捨てているらしい。
庭にはコーラの缶が転がっているし、道路との境界にあるバラセンには、スーパーマーケットのプラスチックバッグ(ビニール袋)が引っ掛かって風にたなびいている。
樹木の枝にもこのプラスチックバッグが引っ掛かっていて、「南アフリカの国花」と言われるほどになっている。
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◆南アフリカのカージャックは10%減
2001年12月上旬の早朝、ヨハネスブルク空港に到着した。
日本人の知人が到着ロービーで待っていてくれた。
知人は私の押してきたカートを手にして、「このまま駐車場へ行こう」と言った。
私が「銀行で両替したい」と言うと、知人は「お金は後でどうにかするから、ウロウロしないでひとまず空港を離れよう」と言った。
数日前に空港から車でサントンへ向かう日本人の方が、空港から尾行され、高速道路で数台の車に囲まれてカージャックにあったらしい。
知人は車のルームミラーで尾行されてないことを確認しながらサントンへ向かった。
知人が、「今年は未遂も含めて日本人の被害が8件起きている」と言った。
もうこうなったら、ヨハネスブルグは世界で最も危険な都市である。
因みに、ヨハネスブルグの1か月間のハイジャックは500件だったそうです。
5月24日の南アフリカの新聞に、「昨年のカージャックが10%減った」という警察発表の記事が掲載されていました。
昨年(2004/4〜2005/3)の1年間で、南アフリカ全体では、一昨年の14,691件から13,793件に減ったそうです。
カージャックが多発しているヨハネスブルクやプレトリアのあるハウテン州では、9,371件から8,664件に減ったそうです。
1998年当時は、16歳以上の者が(一生のうちに)カージャックに遭遇する確立は1.5%だったそうですが、0・5%になっているそうです。
南アフリカのカージャック事件を知らない人にとっては驚くべきことです。
このカージャックには、運転者の所持品や車の備品を盗むものと、車そのものを盗むことがあるそうです。
新聞を読んでいて驚くべきことは、「ビールなどを運んでいるトレーラーがカージャックされて、発見されたトラックからは、ビールが全て盗まれていた」というようなニュースも載っていました。
警察によれば、「カージャックは組織的に行われ、麻薬などの他の犯罪と関係していることが多い」そうです。
2002年3月、再び南アフリカへ向かいました。
香港から搭乗した南アフリカ航空の機内には、南アフリカの新聞(ザ・スター)が置いてあり、「カージャックされた車は、南アフリカの東部にあるスワジランド王国の南方を通り、道路も整備されてない所を通ってモザンビークに入り、アフリカの中央部の国へ密輸されていく」と書かれていました。
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◆南アフリカの国歌の行方は?
南アフリカの国歌は『ンコシシケレリアフリカ・ダイステム』で、途中でメロディーが変わるので有名です。
最初の歌い出しは黒人言語ズールー語で、その後、黒人言語のソト語でンコシシケレリアフリカが歌われます。
その後、白人言語のアフリカーンス語でダイステムが歌われ、最後に英語の歌が歌われます。
『ンコシシケレリアフリカ』は、弾圧されていた黒人の方たちが、アパルトヘイト政府への抵抗の歌として歌われていたそうです。
1897年に作られ、多くのアフリカの言語に訳されているそうです。
ザンビアおよびタンザニアの国歌にもなっているそうです。
『ダイステム』は、黒人の方たちからは『アパルトヘイトの歌』として嫌われているそうです。
1967年に起きたソウェト蜂起は、黒人の方たちのアフリカーンス語の授業の放棄から起きたことは、あまりにも有名な話です。
この嫌われている『ダイステム』も、アフリカーナーの方たちにとっては、1899年から1902年のイギリスとの苦しい戦争(ボーア戦争)時に作られた、ボーア人(アフリカーナー)の勇気をたたえる歌なのだそうです。1957年に国民党政権下で国歌になったそうです。
1994年にマンデラ氏が大統領に就任した際に、『ンコシシケレリアフリカ』と『ダイステム』の両方が国歌になるだろうと宣言し、1996年に2つの歌が結合して新しい国歌の『ンコシシケレリアフリカ・ダイステム』を作ったそうです。
ある黒人の方は「アフリカーンス語の部分は歌いたくない」と言い、ある白人の方は「ズールー語やソト語を知らないので歌えない」と言っているそうです。
また11言語あるナショナルランゲージの、他の7言語の黒人の方たちからも不満があるみたいです。
『ンコシシケレリアフリカ・ダイステム』の『ダイステム』部分は、「アパルトヘイトの遺産のうちの1つとして政府が廃棄するのは時間の問題」と言われていたみたいですが、2003年10月の新聞記事によれば、政府は「国歌を変更するつもりはない」と言っているそうです。
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◆ヨハネスブルクも都市名変更?
「南アフリカの首都『プレトリア』が『ツワネ』に変更される」というニュースを紹介しました。
改名の理由は、「プレトリアは白人侵略者の名前。ツワネは黒人先住民にちなんだ名前」だそうです。
南アフリカのニュースを調べていましたら、白人は反対の声があるのは勿論ですが、黒人部族においても「ツワネとは誰?」という声もあるみたいです。
いくつかのニュースを読んでいましたら、「ヨハネスブルクも都市名変更」という記事がありました。
新聞によりますと、「今年の1月に5人の秘密メンバーが選ばれて検討に入った」そうです。
新聞社はそのうちの2人から、情報を入手したそうです。
新聞社は、市長にコメントを求めたが、拒絶されたそうです。
この2人の情報によれば、"eGoli"、"Jozi"などの現在でも黒人言語で使用されている"Johannesburg"の都市名の他に、
"Nelson Mandela"、"Oliver Tambo"など多数が候補にあがっているそうです。
余談ですが、「"Johannesburg"はどのように発音するのが正しいのだろうか?」と思っています。
飛行機の機内放送などは英語のために「ジョハネスバーグ」と発音しています。
南アフリカの白人の友人は、10年ほど前は「ヨハネスブルク」と言っていました。
私の耳には、「ヨハネスブルフ」と聞こえていましたが。
最近では、「ジョーブルグ」とか「ジョハ」とかの短縮形で言っていました。
ニュースには、それらしきホームページのアドレスが記載されていましたので、アクセスしてみました。
ホームページのヘッドの部分が表示されてしばらくして全体が表示されました。
ホームページは、バナーが点滅するピンク色のホームページでした。
「ヤバイ!」と思って慌てて切断しました。
勿論、アダルト系のサイトです。
新聞がこのようなサイトを掲載するとは思えないので、当初はそれらしき内容が記載されていたのかもしれません。
このニュースは2005年4月1日の、ある新聞の1面に掲載されたそうです。
思い出してみれば、2003年4月1日は、「ケープ半島が30年後に大陸から分離された地図」でした。
(2005.05.27)
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◆南アフリカの首都プレトリアがツワネに変更
以前、「南アフリカの首都名が、プレトリア(Pretoria)からTshwaneに変わったそうです。プレトリアという地名はこれからも残るみたいですが、今までのプレトリアを含む広域をツォワネとし、首都にするみたいです。"Tshwane"は 日本語読みをどう書くのか難しいと思いますが、"ツォワネ"と読むのかもしれません。今後、新聞でどのように書かれるのか楽しみです」と紹介しました。
5月22日の毎日新聞に、「南アフリカで、首都プレトリアの市名を黒人先住民にちなんだ『ツワネ』に改名する手続きが進んでいる。『プレトリアは白人侵略者の名前』というのが改名理由だが、94年の民主化で正真正銘の少数派となった白人は『多数派の横暴』と反発、21日には約1000人が市内をデモ行進した。エイズの拡大など深刻な社会問題を抱える南アでは、黒人の間にも『政府は他にやるべきことがあるはず』との声もあり、首都の名を巡る論争が激化している」と書かれていました。
また首都名変更は、「与党アフリカ民族会議(ANC)が多数派のプレトリア市議会は今年3月、先住民の首長ツワネの名に改めることを決めた。今月26日に国の審議会が議論し、最終的には芸術・文化・科学技術相が改名の可否を決めるが、ANCの事実上の一党支配下にある南アでは、改名は間違いないとみられている」と書かれていました。
「一国の首都名を市議会が決めた」と書かれていて、「This is South Africa」と思ってしまいました。
「This is South Africa」とは、私が南アフリカに滞在していた時、白人の知人がよく使っていた言い訳の言葉でした。
頼んでおいた仕事などが終わっていないので催促すると、「(黒人の)部下には指示してあるのだが、まだ終わっていないよ。ここは南アフリカだから(日本とは違うよ)」という意味でした。
このような言い訳をするのですが、私の方から「This is South Africa」と言うと、「お前は南アフリカを馬鹿にするのか?」と言っていました。
(2005.05.25)
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◆5ランド50セントを奪うために殺人
ここ最近、犯罪のニュースが多いように思います。
犯罪が多くなったのではなく、あまりよいニュースが少ない
5月6日、プレトリアで卸売り業者が6〜8人の強盗に襲われ、銃(AK−47)で脅されてプラスチックテープ(ビニールテープ)で縛られて、100万ランド(約2,000万円)を奪われたそうです。
警察は、「この強盗のうちの2人は、今年の初めに起きた強盗事件に関与していたらしい」と言っているみたいです。
また被害額は、「当初は500〜600万ランドと言われていたが約100万ランド」と判明したみたいです。
5月14日のニュースによればヨハネスブルクで、「男性が2人組の強盗に襲われて、携帯電話を奪われ、さらに現金を要求され、5.5ランド(約100円)を奪われて殺害された」と書かれていました。
犯人の1人はその後、目撃者の証言によって逮捕されたそうです。
ダーバンでは、「警察がストリートチルドレンに暴行」という記事が掲載されていました。
警察は、「ストリートチルドレンに、駐車してある車に近づかないように指示」したそうですが、ストレートチルドレンは、「車の所有者に依頼されて車を監視していた」と意見の食い違いがあるようです。
私も南アフリカに滞在していた時、車の監視を頼んだことがあります。
この車の監視は、子供たちの貴重な収入源であり、時として市内では大人たちがテリトリーを作って、路上駐車の見張りをしています。
駐車場に車を停めても、どこからともなく人が近寄ってきて、「車をみている」と言ってきます。
もう数年前の話ですが、5ランド(約100円)ほど渡していました。
私の場合は、先に2ランドほど渡して、「見ていてくれたら帰りに渡す」と言って、帰りに5Rほどを渡していました。
そう、先に渡せばお金だけもらってどこかへ消えてしまうからです。
私の白人の友人は、「『もし誰かが見ていてやろう』と言ってきたら、かならずお金を渡しなさい」と言っていました。
友人は、「たまたま小銭を持っていなかったために小銭を渡すことができず、車に傷をつけられた」と言っていました。
私は南アフリカで、お金を貰う子供たちをあまりみませんでした。
1990年代の中頃は、車の監視以外に、駐車場に車をとめれば車を掃除してくれたし、スパーマーケットから出てくれば荷物を持ってくれました。
働いてお金を稼ぐ少年たちが好きでした。
1990年代の後半は、警察などの監視も厳しくなり、スーパーマーケットの駐車場や、近くの路上で働く子供たちは見かけなくなりました。
「子供たちはどこへ行ったのだろうか? 黒人の方たちの生活が豊かになったためだろうか?」と思いましたが、必ずしも貧困層の生活は豊かになっていなかったように思います。
(2005.05.23)
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◆南アフリカの白人だけが住む町
2004年1月の読売新聞にも掲載されていましたが、ヨハネスブルクの南西約650キロ離れた北ケープ州の半砂漠地帯に、アフリカーナー(オランダ系白人)だけ約600人が入植したオラニア地区があるそうです。
このオラニアは1970年代に労働者の一時滞在地として出来た集落だそうですので、かつては黒人の方たちが滞在していた集落かもしれません。
オラニアへは、アパルトヘイト基幹3法が廃止された1991年に、アパルトヘイト崩壊を見越した11家族が、廃墟同然だった集落の一帯約400ヘクタールを共同購入したのが始まりだそうです。
オラニア入植の理由は、「アフリカーナー文化を守るため」と「黒人政権への不安」だったみたいです。
オラニアはこれまでに、農地を2,500ヘクタールに拡大、欧州にメロンを輸出し始めるなど、独自の社会を維持する基盤を着実に固めつつあるそうです。
最近の南アフリカのニュースによれば、自給自足で白人だけによる町を作ろうとしているグループと、水の供給問題もあるので政府と話し合ってオラニアの位置づけを明確にしたい、というグループの対立も起きているみたいです。
「民主的に運営されているといわれるが、少数の独裁政治になっている」と言う人もいるみたいです。
あるオラニアの住人によれば、「オラニアに終わりはない。この論争が解決されればまた元の正常な状態に戻る」と言っているみたいです。
(2005.05.09)
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◆南アフリカのマラリア
5月11日の朝日新聞に、ユニセフとWHOのリポートについて書かれていました。
マラリアは、アフリカ、アジア、中南米などで毎年、100万人以上の命を奪っているそうです。
ユニセフ事務局長は、「サハラ以南のアフリカでは30秒に1人がマラリアで亡くなっている。大半は5歳以下の子どもだ。マラリア対策に焦点を当てるべきだ」と訴えているそうです。
リポートによると、「マラリア感染者は毎年3億5千万人から5億人にのぼる。サハラ以南のアフリカだけで、年間120億ドル(約1兆2800億円)の経済損失をもたらしているという。WHOとユニセフは、2010年までにマラリアによる死者を半減させることを掲げて治療、予防両面の活動に力を入れている。世界のマラリア対策資金は年間約6億ドルで、必要な30億ドルには遠く及ばない」そうです。
5月6日の南アフリカのニュースによれば、ファンスチャルクビク(van Schalkwyk)環境大臣が、「南アフリカは2020年には、地球の温暖化によりマラリアによる感染は4倍になる」と述べたみたいです。
南アフリカのマラリア危険地帯は、マプマランガ州東部のクルーガー・ナショナルパークを含む地域やクワズール・ナタール州の東部の低地だと思いますが、ニュースによれば、「ジンバブエ側のリンポポ州、ボツワナ側のノース・ウエスト州にまで広がり、ヨハネスブルクやプレトリアのあるハウテンまで含まれる」そうです。
環境大臣によれば、「地球の温暖化は、過去は科学者の予言のように受け止めていたが現実的な問題である。気候の急激な変化は10〜15年後の起こるだろうがパニックになるようなことはない」、また「南アフリカは大きな石炭火力発電所を多く持っているが、二酸化炭素放出量の削減政策を、今まで持っていなかった。今後は積極的に対応していく」というようなことを述べたみたいです。
このままいけば、「南アフリカ東部は雨量が多くなってマラリアの発生が多くなり、ケープタウンのある西ケープ州では砂漠化が進み水不足で農業に支障がでる。また、絶滅する動植物もでて、観光事業(収入)に支障が出る」と述べたみたいです。
(2005.05.06)
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◆南アフリカで高校生の犯罪が増加
南アフリカのニュースに、高校生の犯罪増加について書かれていました。
私は英語が得意でないので、理解が間違っているかもしれませんが、「500人の高校生のうちの少なくとも37人は、ダーバンで人を殺しました」というニュースを見てビックリしてしまいました。
ニュースにも書かれていましたが、「8%の高校生」です。
調査の方法にもよるのでしょうが、「80%の少年が今までに暴力的な行為をしたことがある」とも書かれていました。
ある調査機関によれば、「薬物(麻薬や覚醒剤)や酒が簡単に手に入る」、「無免許で車を酔っ払い運転する「、「銃やナイフが簡単に手にすることができる」ことが原因みたいです。
ある調査機関が、ダーバン、ヨハネスブルク、ケープタウンで調査したところ、少年(18歳未満)犯罪の種類は、強姦、暴力、アルコール及び麻薬、売春の4つのカテゴリーに分けられるそうです。
1.強姦犠牲者の41パーセントは18歳未満だったそうです。(18歳未満の少年による犯罪はよくわかりませんでした)
2.プレトリアで行なわれた2つの調査のうちの1つは、等級6と7の生徒(中学生?)500人の調査で14%がアルコールを飲んでいたそうです。(学校の中で飲んでいたということではないみたいです)
プレトリアで35の学校での2つめの調査では、12%の生徒がLSDなどの覚醒剤を数時間、長くても1日以内に買うことができることがわかったそうです。
また26%の生徒は、学校内で覚醒剤や麻薬を売った生徒がいることを知っていたそうです。
3.2004年のダーバンでの暴力事件による死亡者の44%が14歳以下の少年でだったそうです。(18歳未満の少年による犯罪はよくわかりませんでした)
4.ダーバン、ケープタウン、ヨハネスブルグの350人の売春婦(ストリート・セックス・ワーカー)のうちの10%が18歳未満だったそうです。
「世界最悪の犯罪都市の1つ」と言われているヨハネスブルクは、"組織化された犯罪グループによる強盗やハイジャック(カージャック)"や"失業者が40%を超える貧しさによる犯罪"と思われがちですが、少年たちによる犯罪も増えているみたいです。
組織化されたグループの犯罪は、被害に会わないように避けることもできるのかもしれませんが、アルコールや覚醒剤を飲んでいる少年たちの犯罪からは逃れられないところがあるかもしれません。
私が南アフリカに滞在していた時、ヨハネスブルク近郊に住む白人の友人は「(自動車のナンバーに記載されているGP(Gauteng Province=ハウテン・プロビンス)は、ギャング・プロビンスである」と言っていました。
また、「南アフリカは死刑がないので犯罪が増えている」とも言っていました。
(2005.05.06)
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◆南アフリカの廃品を拾って生活する人たち
ヨハネスブルク近郊にソウェトという町があります。
ソウェトとは、アフリカーンス語の"南西"を短縮した名前みたいです。
このソウェトは名前のごとく、ヨハネスブルクの南西にあります。
ここはかつてのアパルトヘイト時代、ヨハネスブルクで働く黒人労働者を住まわせた黒人居住地区です。
ヨハネスブルクやサントンのホテルに宿泊してツアーを申し込めば、かの有名なソウェトへ観光に行くことができます。
でも観光で連れて行ってもらえるのは、豪華な住宅の立ち並ぶ、近代化した場所だけかもしれません。
近代化していないとしても、観光客に見せられる範囲なのかもしれません。
私も、ソウェトの奥とか、ヨハネスブルクのアレキサンドラなどは見たことがありません。
ヨハネスブルクを少し離れた町にある黒人居住地区へ、黒人の友人の案内で一度だけ行ったことがありますが、その中心から少し奥に入った場所は、電気も上下水道もない、想像を絶するような場所がありました。
最近の南アフリカのニュースに、ソウェト住んでいて、廃棄物処理場から物を拾って生活している人のことが掲載されていました。
この廃棄物処理場では、約1,000人の人たちが、紙、プラスチック、アルミニウムなどの再利用品を拾って生活しているそうです。
ある62歳の老女は、毎日、ソウェトから12km歩いてこの廃棄物処理場へ通っているそうです。
1週間に150ランド(約2700円)〜250ランド(約4500円)の収入にしかならないそうです。
老女には23歳の息子さんがいるそうですが、母親が年老いているため2年前に学校をやめて手伝っているそうです。
老女にはさらに子供さん2人とお孫さん1人がいて、老女の収入で暮らしているそうです。
収入のない時は、水に砂糖を入れて飲んで、空腹をしのいでいるそうです。
詳しいことはわかりませんが、このご家族はIDを持っていないためにまともな仕事にもつけないのかもしれません。
老女はご主人と一緒にレソトから来たみたいですが、すでにご主人は亡くなっていて、廃棄物処理場での収入で子供さんを育ててきたそうです。
老女は1976年から南アフリカに住んでいるので年金を受け取る資格はあるのだそうですが、IDを持っていないために申請する資格がないそうです。
廃棄物処理場には、腐敗した食料品、注射器や血のついた医療廃棄物などもあり、悪臭だけでなく有毒ガスも発生しているそうです。
老女の息子さんは、「地方自治体は、せめて手袋とマスクを支給して欲しい」と言っているそうです。
廃棄物処理場の隅に、ダンボール箱とプラスチックで作られた小屋に住んでいる人たちもいるそうで、ここにはもぐりの酒場もあるそうです。
(2005.05.05)
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◆南アフリカでスーパーマーケット強盗が急増
最近、ヨハネスブルクのスーパーマーケットに6人組みの強盗が入り、すぐに2人の警察が駆けつけたため4人は逃亡したそうです。
2人の警察官は、残っていた2人の内の1人の強盗を銃で撃ったそうですが、1人の警察官も強盗に銃に撃たれて死亡したそうです。
警察によれば、「ここ数年、銀行強盗が減った。これは警察の成果だ」と言っているみたいです。
一方、スーパーマーケットの経営者たちは、「警察の成果は認めるが、武装強盗はスーパーマーケットをターゲットにしていて増加している。警察は今回のように警察官が死亡しなければ対応しない」と不満を訴えているみたいです。
南アフリカでは、スーパーマーケット強盗は半年前は週に1〜2件発生していたそうですが、最近では週に3〜4件発生しているそうです。
強盗の多く発生しているのは、ヨハネスブルクやプレトリアのあるハウテン州で約80%発生しているそうです。
スーパーマーケットの組合では、犯罪の記録を管理するデータベースを作成して、4500店のスーパーマーケットをモニターしているそうです。
そのため警察への通報も迅速化されたため、強盗は3〜4分で店の金や顧客のお金を取って逃げるそうです。
そのため被害そのものは、1年前の200万ランド(約3,600万円)にたいして、現在は100万ランドに減少しているそうです。
昨年の12月のヨハネスブルクで発生した強盗事件では、13人の強盗がわずか692ランド(約13,000円)を盗んで逃げたそうです。
南アフリカのスーパーマーケットのお金の支払い方法は、日本のスパーマーケットとまったくかわりません。
コンビニの類の店もたくさんあります。
今はそうなっているのか分かりませんが、数年前までは地方のコンビニなどに寄りますと、お年寄りが店番をしているようなお店はレジが鉄格子の中にあり、支払い用の窓口が開いているような店もありました。
(2005.05.05)
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◆南アフリカの首都が変更
南アフリカの首都名が、プレトリア(Pretoria)からTshwaneに変わったそうです。
Tshwane was the name of the son of an African chief who
settled in the area hundreds of years ago; and is also a word that means
"we are the same" or "we are one because we live
together".
と書いてありますので、黒人言語の名前みたいです。
外国語の日本語読みをどう書くのか難しいと思いますが、"ツォワネ"と読むのかもしれません。
今後、新聞でどのように書かれるのか楽しみです。
都市名変更は3月上旬に発表されましたが、正式に発足したのは4月23日みたいです。
プレトリアという地名はこれからも残るみたいですが、今までのプレトリアを含む広域をツォワネとし、首都にするみたいです。
プレトリアは、1885年にアフリカーナーの英雄にちなんで命名されたそうです。
"Tshwane"(the son of an African chief)は、ズールーランドから移動して、ボーア人(アフリカーナー)が来る約100年前に今のプレトリアの東に定住したそうです。
このプレトリアの東部は、1994年のマンデラ大統領が誕生した政憲選挙で、アフリカーナーの政党がホームランド(白人だけが住む居住地区)を造ろうとしていた地域であり、なかなか興味のある話です。
ヤンスマッツ空港をヨハネスブルク空港に変更し、ヨハネスブルク市内にある白人の名前が付けられた病院の名前を変更し、「次はクルーガーか?」と思っていたのですが、首都プレトリアでした。
でも、さすがに、首都プレトリアの名称変更はできなかったので……ということなのでしょうか?
(2005.04.24)
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◆スワジランド国王の盛大な誕生パーティー
もう10年ほど前ですが、南アフリカから陸路でスワジランドに行ったことがあります。
スワジランドの西側のショホックという国境から入国し、その南にあるアムステルダムという、まるでオランダのような地名の街があり、帰りはここから南アフリカに戻りました。
スワジランドの道路は舗装されていたとはいえ、穴だらけだったように思います。
左手に小高い丘がある道を走っていると白人の知人が、「国王はこの丘の上に住んでいる。国王が降りてくると国民はひれ伏す」と言っていました。
ドライブインに寄って、ケンタッキー・フライドチキンを食べたことを覚えています。
4月20日の南アフリカのニュースによれば、ムスワティ3世国王は37歳の誕生日を迎え、会場の競技場には約2万人が集まったそうです。
この誕生パーティーに使用されるお金は、議会での予算によれば170万ドルだそうです。
ムスワティ3世国王は、11人の奥さんと10代の2人の婚約者がいて、奥さんたちに高級自動車を購入したり、家を新築したりしていることが報じられています。
あるタクシーの運転手は、「人々が飢えているのに、国王はますます多くのお金を使っている」と言っているそうです。
競技場で行われたパーティーへは、以前にくらべて、多くの国民が出席をしなかったそうです。
統計によれば、120万人の国民の40%がHIV陽性者で、65%以上が1日当り1ドル以下の生活を送っているそうです。
また20万人が、海外からの食糧支援にたよっているそうです。
(2005.04.20)
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◆仮小屋造りを警察が阻止
ケープタウンで、自分の住むための仮小屋を造っている黒人の方たちにたいして警察が阻止し、いざこざがあったみたいです。
この仮小屋を造ったのは、1月の火災で家を失った人たちなのかはよく分かりませんが、元住んでいた非居住地区から強制的に移動させられて、公共の仮小屋に住まされていたみたいです。
ここに住む114組の家族の多くは、まともでない公共の仮小屋に住まわされていたみたいです。
ここには最初は56組の家族が住んでいたみたいですが114組まで増えたみたいで、子供たちは屋外の火の回りで寝て、夫婦も交代で屋外で寝ているそうです。
「市(?)は、100組の家族のために住宅を供給する」と約束して、公共の仮小屋に住まわせたみたいですが、その生活環境は悪く、「もう待ちきれない。犬のように扱われることに飽きた」と言って、非居住地域に自ら仮小屋を造りはじめたそうです。
市警察が仮小屋造りを阻止するために催涙ガス弾を発砲し、黒人の方たちは石を投げて対抗したみたいです。
発砲については、住民側と警察側で食い違っていたみたいですが、警察は群集を分散させるために催涙ガス弾を投げたみたいです。
ある黒人のかたは、「仮小屋を造る許可をもらった」と言っているみたいです。
市関係者(?)が、HIV陽性者で結核のような病気を患っていて、子供たちに健康上有害なので2週間前に仮小屋造りの許可を与えたみたいですが、「許可を出したという方はヨハネスブルクへ行っている」と言ってコメントをひかえているそうです。
このニュースを読んで、「先に公共の住宅を建設してから、非居住地域に住んでいる方たちの家を壊せばいだろう」と思ってしまいました。
1990年代の前半、ヨハネスブルク空港(当時はヤンスマッツ空港)からヨハネスブルクへ向かう途中、道路沿いには黒人の方たちが住んでいた仮小屋がたくさんありました。
南アフリカを訪れるたびに、この仮小屋があったところはきれいに整地されていました。
時には、大きなブルドーザーがあって、壊された仮小屋が生々しく残っていました。
「ここに住んでいた人たちは何処へいったのだろう」といつも思っていました。
2002の環境サミットが行われた時には、この道路沿いでは仮小屋はまったく見られませんでした。
この環境サミットの時の日本の新聞に、「環境サミットが開催されているサントンの会場から、ほんの数キロ離れたアレキサンドラでは、上下水道も完備されていない場所がある」と書かれていました。
(2005.04.11)
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◆ケープ半島の被災者が仮住宅へ引越し
ケープ半島の"Joe
Slove"では、1月中旬にケープ半島の不法居住区で起きた火災で、約1,500の仮小屋が燃え、約2,000軒の家を破壊しました。
ケープタウン市はただちに、「今まで住んでいた非住宅区域とは別な場所に仮の耐火型の家を2,000軒建てることを予定している」と発表しました。
4月4日の月曜日、500人が市が供給した105軒の仮住宅に引っ越したそうです。
「今週中にさらに500人が引っ越す」と書かれていました。
火災で家を失った人々はテントでの生活を送っていて、テントは岩盤の上に張られているために虫が入り込んできたり、テントの入口が閉まらないためにプライバシーが守れず寝ることもできず、生活条件が悪化していたそうです。
ニュースには、「これで安心して寝られる。新しい耐火型の家に移れて幸せである」というようなコメントが掲載されていました。
各家には2つのシングルベッド、料理器具などが準備されているそうで、来週には電気が供給される予定だそうです。
市が供給した住宅は約200軒で、引っ越したのは1,000人みたいです。
火災時のニュースでは、「約1,500軒が燃え、約2,000軒が崩壊した」と書かれています。
「火災に起きた場所は"非居住区"だったため、自分たちで仮小屋を再建することも許されず、別の土地へ移されてテント住まいをさせられている人たち全員が、新しい家に引っ越せるのはいつなのだろう」と思ってしまいました。
「今回引っ越した1,000人はどのように選ばれたのだろう」と思ってしまいました。
(2005.04.05)
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◆新国民党(New National Party)が解散
4月9日、白人(カラードを含む)主体の新国民党の解散を問う党内投票で、解散が決定したみたいです。
投票者は88人で、83人が賛成、2人が反対、3人が保留だったみたいです。
詳しいことは分かりませんが、「政党登録は現在のまま継続」と書いてありますので、まだ解散の正式決定はされていないのかもしれません。
南アフリカの政党登録はどのようになっているのかはわかりませんが、過去の選挙で、比例代表で当選したにもかかわらず、「当選者は別の政党へ移った」と書かれていますので、他の政党へ移るのかもしれません。
「無所属で有効」というようなことも書かれていますので、無所属での活動が可能なのかもしれません。
新国民党については詳しいことはわかりませんが、1994年の全人種による選挙でマンデラ大統領が誕生する前は、国民党が与党でデクラーク氏が大統領でした。
1994年以降の国民党の流れについてはよくわかりませんが、1990年代の後半に、国民党は他の白人主体の政党との合併で新国民党が誕生したみたいです。
2004年の選挙では、新国民党は大敗が予想されました。
この選挙運動中に、新国民党のスチャルクビック党首は、与党ANC(アフリカ民族会議)と協力体制を結びました。
新国民党はANCに協力することで、唯一の基盤であった西ケープ州でANCに敗れても首相の座を維持しようとしたのですが、大敗してANCへ首相の座を譲ってしまいました。
私が南アフリカのニュースから知る限りでは、この選挙以来(それ以前からだったかもしれませんが)新国民党は白人たちからも期待されない政党になったみたいです。
2004年の選挙は民主化10周年にあたり、大勢の黒人層がANCに期待をして投票し、3分の2以上の議席を獲得して単独で法律を変えることができるようになったみたいです。
「ANC議員の腐敗」、「逆アパルトヘイト(黒人優遇)」、「黒人貧困層の増加」などが囁かれている今、「ANCに投票してよかった」と思える日がくるのでしょうか?
2004年選挙の議席数(合計400議席)
1 ANC(African National Congress): 279
2 DA(Democratic Alliance): 50
3 IFP(Inkatha
Freedom Party): 28
4 UDM(United Democratic Movement):
9
5 ID(Independent Democrats): 7
6 NNP(New National Party):
7
1994年選挙の議席数(合計400議席)
1 ANC(African National Congress): 252
2 NP(National Party):
82
3 IFP(Inkatha
Freedom Party): 43
(2005.04.09)
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◆マンデラ夫妻が、それぞれグローバルフレンド賞を受賞
4月13日、ストックホルムでワールドフレンド賞が発表され、15日にスウェーデンで表彰が行われたみたいです。
「世界中の200万人以上の子供たちに祝福された」と書かれていました。
この表彰にマンデラ夫妻が出席したのかはわかりませんが、マンデラ氏の娘さん(Zindzi)と婦人の娘さん(Josina)の写真と、2人のコメントが掲載されていました。
"Zindzi"さんは、前婦人のウィーニーさんとの間に生まれた娘さんで、マンデラ氏が大統領時代に付き添って、ファーストレディー的な役割をしていました。
"Josina"さんは、マンデラ氏の夫人のグラシャさんと、飛行機事故で亡くなったモザンビークの初代大統領のマシェル氏との間に生まれた娘さんです。
マンデラ氏の受賞は、"南アフリカの子供の自由と平等の権利"によるそうです。
婦人のグラシャさんは、"20年間にわたる子供(特に少女)の学校へ行く権利"によるそうです。
その他の受賞者には、"ケニアの孤児を援助する20人の田舎のグループ"があるそうです。
大賞は、"2歳から車椅子生活をおくっていて、30年間ストリートチルドレンを支援しているボリビアの人"だそうです。
(2005.04.13)
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◆南アフリカの金色のモグラ
南アフリカには金色のモグラ(Golden mole)が生息しているそうです。
この金色のモグラが生息しているのは、南アフリカでは3地域あり、その1つがブロンベルグ(Bronberg)とう地域だそうです。
ブロンベルグを地図で調べましたが見つかりませんでした。
ベルグというからには、山の中なのでしょうが。
写真でみる限りは、金色というよりも、黒光りしているように見えます。
このブロンベルグの山麓で、セメントのレンガ工場が建設されているそうです。
自然保護団体は、「この地域は金色のモグラ以外に、固有の動物や植物が生息していて絶滅の危機にあり、建設は法令に違反している」と呼びかけているそうです。
しかし、地方自治体はこの建設工事を許可しているそうです。
建設側は、「この地域は鉱山跡であり、保護団体の主張は動物保護が目的ではなく、建設を中止させる別の目的を持っている」と告訴しているそうです。
(2005.03.31)
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◆ケープ半島のサイクリングレース
2002年3月上旬、私は南アフリカのヨハネスブルクの近くに滞在していました。
帰国の日が近づき、数日の余裕が出来たので2泊3日のケープタウン行きを計画しました。
しかしこの時期、ケープタウンでは有名なサイクリング・レースがあり、ホテルどころか、フライトも予約出来ませんでした。
ケープタウン行きのフライトが数日前にとれました。
しかし航空会社はブリティシュで、チケットの値段は通常の3倍でした。
「行こうか、行くまいか」悩んだ末、「日本から来ることを考えれば安いものだ」と思い、ケープタウン行きを決めました。
けれども、このケープタウン行きは、最初から運に見放されていたみたいで、家族からの、「すぐに帰国して欲しい」というメールで、急きょ帰国することになってしまいました。
私の友人は、「自動車に乗って1泊2泊でケープタウンへ行って、このレースに参加する」と言っていました。
勿論、入賞が目的ではなく、"完走することが目的"で、そのために毎週末トレーニングをしていました。
今年は、3月13日の日曜日に開催されたみたいですが、あまりよいニュースが紹介されていませんでした。
このレースに参加するためにマプマランガ州から来て、ゲストハウスに宿泊していた親子が、強盗に入られて45歳の父親が銃で殺され、17歳の息子さんは負傷を負ったみたいです。
レースには35,000人が参加したそうですが、気温は36℃まであがり、峠の危険地帯では時速50kmの強風が吹いて、163の事故報告があったそうです。
レース中には96回の救急車の呼び出しがあったそうです。
心臓発作に襲われた人もいて、ヘリコプターで病院に運ばれたそうです。
私は1990年代の後半にもこの時期にケープタウンを訪問したことがあります。
海岸沿いの絶壁の道を猛スピードで下る、トレーニングをしている自転車をみかけました。
カーブでハンドルを右に切りすぎてセンターラインをオーバーすれば、対向車と正面衝突です。
もしハンドルを切らなければ、絶壁の下へまっさかさまに落ちていってしまいます。
数日後の新聞には、「自動車と接触して死亡した」というニュースが掲載されていました。
「ケープタウンまで行くのに危険。ケープタウンのホテルが危険。レースが危険」のケープタウンへ35,000人も集まるのですから、南アフリカ人にとってもケープタウンは魅力的な場所なのだろうと思います。
(2005.03.15)
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◆南アフリで失業者増加?
ノース・ウエスト州で地震が発生し、その影響で金鉱山の地下で死亡者が出たニュースを紹介しました。
確かな情報ではありませんが、この金鉱山の採掘権は外国資本に売れていて、かなり経営が苦しい状態であったみたいです。
2つの金鉱山は閉鎖の噂があり、6,000人の鉱夫が職を失い、町はゴーストタウン化する危機にあるそうです。
労働組合などは、「採掘権を南アフリカに買い戻して欲しい」と訴えているみたいです。
また、ケープタウンには、高速道路脇に大きな看板が標示されるような有名な繊維工場(衣類の生産?)があるそうです。
南アフリカのランド(通貨)が強くなったため、海外から安い製品が入り込んできているそうで、中国からの輸入品に負けて工場の閉鎖の噂があり、1,000人が解雇の危機にあるそうです。
南アフリカ政府は、「雇用の促進」を重点課題にしていますが、政策にちぐはぐなことが多く、労働者から不満の声が出ているみたいです。
(2005.03.24)
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◆N1のミニバス事故で9人が死亡
北ケープ州のN1道路でミニバスがパンクして道路からそれて転倒する事故があり、乗客9人が死亡し、乗客4人が重傷を負ったそうです。
死亡したうちの7人は13〜15歳の女子生徒で、ジョージのスポーツ活動へ行く途中だったそうです。
「ミニバスの運転手は殺人容疑で調べる」と書かれていますので、運転手は無事だったのかもしれません。
南アフリカではミニバスの事故は頻繁に起きていていて珍しいことではないみたいですが、9人が死亡となると大事故だと思います。
私がこの事故で気になったことは、「あのミニバスに13人を乗せていた」ということです。
私が南アフリカに滞在していた時、ギュウギュウ詰めに乗客を乗せたミニバスをよく見かけましたが、北ケープ州から西ケープ州のジョージまで、身動きもできないようなすし詰め状態で行くのは大変なことだと思います。
「道路をそれて転倒した」と書かれていましたので、そうとうなスピード(時速100キロ?)で走っていたのは事実みたいです。
南アフリカ滞在時、高速道路を時速100キロほどで走っていますと、下り坂になるとミニバスが重そうな車体を今にも倒れそうに揺すりながら追い越し車線に出て、私の車を抜いて行きました。
ミニバスには出来る限り近づかないようにしていたのですが、上り坂になるとミニバスのスピードは時速80キロ以下になるので、今度は私が抜いて行かなくてはなりませんでした。
とにかく整備が不十分で、溝のないようなタイヤのミニバスと一緒に走るとなると、神経を2倍も使ってしまい疲れました。
(2005.03.24)
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◆ケープタウンでまたまた火災
南アフリカのケープタウン近郊では今年になって数回、大火災が発生していて、3月20日の日曜日には"Nyanga"の不法居住地域で火災が発生して、約50の仮小屋が燃え、200人が家を失ったそうです。
家を失った人の話では、「冷蔵庫だけを運び出した」、「テレビだけを運び出した」のは運がよい人で、「IDカードやキャッシュカードなどすべてを失った」とか書かれていました。
また、ある人は、「所持品をすべて持ち出した。しかし、人々が所持品を盗みにくるので安全ではありません」と書かれていました。
詳しいことは分かりませんが、IDカードやキャッシュカードの再発行にはかなりの時間がかかるのかもしれません。
ある人は、「私は"Joe
Slovo"の人々のようになりたくない」と言っているそうです。
"Joe Slove"とは1月中旬にケープ半島の不法居住区で起きた火災で、約1,500仮小屋が燃え、約2,000軒の家を破壊した火災です。
ケープタウン市はただちに、「復興には20億ランド(約400億円)が必要と予想され、西ケープ州およびケープタウン市は5億ランドを準備している。今まで住んでいた非住宅区域とは別な場所に仮の耐火型の家を2,000軒建てることを予定している」と発表しました。
"Joe Slovo"の火災で家を失った人々は、いまだテントでの生活を送っているそうで、最近は生活条件がさらに悪化しているそうです。
テントは地面の上に張られただけで、虫たちが入ってくるなどの悪条件だそうで、病人がでても数キロも先にある病院へ行けない状態だそうです。
ある被災者の話によれば、「ここには風紀を乱すような人々がいて眠ることができない。テントの入口が閉まらないような状態でプライバシーが守れない。また、夜には強い風が吹いて寒い」と言っているそうです。
被災者の多くの人々は、今週には市の供給する仮住居へ移れる予定だったそうですが、市の住宅供給関係者からの連絡はなかったそうです。
市の住宅供給関係者へ問い合わせると、「7月までに永住地へ移動されるだろう」という返事があったそうです。
昨年の7月には、「テーブル・マウンテンに雪が降るかもしれない」というニュースもあり、7月の移動もたぶん遅れるでしょうし、被災者の方々がどのように冬を越すのか心配です。
(2005.03.27)
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